なぜ「無用」と名付けたのか?
商品経済が高度に発達した現代では、人々は「役にたつこと」を追求し、すぐに結果を出さないことなら全て「役に立たない」と見なす。役に立つかどうかが選択の前提条件になっているが、目先に役立つことは未来の価値になることと異なる場合が多く、目先の利益に目を向けすぎるあまり、「無用」というものが人間の精神や未来にとっての価値を見過ごしてしまうことが多い。
工業的な代替品ができたために消えていくものは、すべて無用なのだろうか?めったに使われない、または使われなくなったということは、価値がないということなのだろうか?私たちは何を得たのか?何を失ったのか?消えたもの、消えつつあるもの、そしてこれから消えていくものに対して、私は何ができるのだろうか?
私は、目先は役に立たないかもしれないが、後々価値が出るようなことをしたい。人々が役立たないと思っていることを役立たせたい。役に立つか立たないかで選択するのをやめてもらいたい。私は「無用」が好きなので、それに新しい価値を与えることができる。その価値は、決してモノそのものにあるのではなく、それを大切にする心の中にある。
これら「無用」の作品を通して、人間の本質にあるもの、技術や経済が如何に進歩しても、人々が心の奥底でずっと望んでいるものを見つけたいのだ。
by 馬可
すべての物には名前がある
屋上テラスでのオープニングショー、2008年馬可がパリ・オートクチュールショーでのパフォーマンス。
招待状は、馬可が「無用」ファミリーの皆さんに書いた手紙であります。
手で心を伝え、服で道を探り、境界のない大きな愛、世界はひとつ。
「私たちは、出来上がったばかりの品質だけでなく、50年も使い続けた後の品質を求めています。自分の人生よりも長く使える美しいものを作ることに誇りを持っています。」 by 馬可
服一枚は、糸を紡ぐことから始まり、完成まで通常2~3ヶ月かかります。